50歳から空手を再開して早15年。
現在64歳の私は今も空手に励んでおります。
驚くべきことに体の柔軟性は日に日に高まり、学生時代の頃よりはるかに柔らかくなっています。
お蔭さまで同年代の人よりもはるかに若く見られ、先日も50代にしか見えないとお褒めの言葉をいただきました。
空手を再開したころの52~54歳の時は、さすがに体の痛みを禁じえず日々痛みとの戦いでした。
やはり50歳を過ぎたら空手は無理なのか、体は柔らかくならないのかと思ってしまう時も多々ありました。
しかしその苦しみにもめげず、ただひたすら鍛錬を積み重ねるうちに徐々に体は柔軟性を帯び始め、60歳を過ぎたあたりから急激に体は柔らかくなり、学生時代より柔らかい体を手に入れることができました。
ここで悟ったのは、自己限定をしてはならないこと、そして決して諦めないことでした。
自分はもういい歳だからとか、空手をやめてずいぶん経っているからもう無理だとか、そういう自分の勝手な思い込みは取り組みへの邪魔になるだけだということ。
そういう思いを一蹴し、ただ明日を信じて精進すること。
諦めずに努力すること。
これこそが大事だと感じました。
空手修行を通して学んだこと
15年間の空手修行で学んだことは、まず第一に自己限定をしてはならないこと。
勝手に自分の枠を決めてしまい、ここらが限界かなという勝手な枠を決めてしまえば成長はそこでストップしていまうということ。
確かに年齢を重ねると体力も劣ってくるし肉体的な限界はあるのは事実ですが、その枠をはじめから自分が勝手に決めてしまうのは違うと感じました。
そうではなく、自分がどこまで伸びるか自分でもわからない。
わからないからどこまで伸びるか自分に挑戦しよう、チャレンジしようと日々努力することが大事だと感じました。
そしてもうひとつ学んだことは努力を止めてはならないということでした。
日々の精進努力が大事なのは言うまでもないこと。
空手の修行も同じです。
しかし50代前半の頃、あまりに体が痛いので少し休みながら修行を続けたらどうかと考えることもありました。
例えば毎日稽古するのではなく3日に1日は休むというように、時々体を休めるという稽古方法です。
しかし結果的に見てみると、休んだ次の日の稽古が苦しくしんどいものになり、やはり毎日稽古するのが一番楽な稽古だと悟りました。
それからはどうしても抜けられない用事以外はすべて稽古をするようになり、結果的に空手の上達が速まりました。
「現状維持は後退の始まり」という言葉があります。
現状に満足した時点でそこから後退が始まっているという警句です。
やはり現状に満足してはなりません。
日々精進、日々努力です。
それが人の昇華、進歩進化につながっていると信じたいです。
そして第3に学んだことは、人生は戦いだということ。
それは人との戦いではなく自分との戦いだということです。
自分の中に盤踞する「弱い自分」「怠け者の自分」「根性なしの自分」「意気地なしの自分」に日々打ち克っていく努力をする。
人生とはそういう自分との戦いの連続ではないかと。
空手の修行のなかで休みたいと思う時があります。
体の痛みが激しい時。
酷暑の夏のとき、あるいは極寒の冬の時期など。
寒い冬などは床の冷たさで足が凍え、氷のように足が冷たくなる時もあります。
寒さで稽古中踵がしびれることもありました。
そんな時、休みたいと思うことも当然あります。
しかしそのような「怠け者の自分」に打ち克つ努力をする。
そういう日々を積み重ねていく。
これこそが人生そのものではないかと。
そう思ってからは自分に負けそうになった時、「人生は戦いだ」と自分を奮い立たせ日々前進を続けております。
日々の空手の稽古から学ぶべきものは多く、この15年間で多くのことを学び、教訓としました。
空手の技の熟練度は日々向上し、昨年できなかったことが今年にはできるようになるという体験もしました。
まるで若い頃に帰ったかのような感覚です。
若い頃は、今までできなかったことができるようになるという喜びを味わいます。
反対に人は老いると、今までできていたものができなくなるという現状に出くわします。
私の場合、できなかったことができるようになるという、まさに若人の感性に近いものがあります。
人の老いる元となるものは肉体的なものばかりでなく、こういった精神的なもの、いわゆる明日への希望が見えなくなっていくときに現れるのでないかと思えます。
私が若く見られたというのも、こういった精神的なものがあるのではないかと思えるのです。
まだまだこれから
今、空手の稽古が楽しくて仕方ありません。
なぜなら日々進歩しているからです。
出来なかったことができるようになる喜びは、若かった頃に味わった感情です。
それがこの歳になっても味わえるのです。
これ以上の喜びがあるでしょうか。
今、私にもお弟子さんがつき、共に空手の修行に励んでいます。
弟子がついたことで下手な空手は教えられないという意識から、私自身の稽古にも拍車がかかりより一層の努力を続けています。
相変わらず体に苦痛を伴いながらの稽古ですが、それに負けず精進していくつもりです。
長々と私の空手修行について述べて参りましたが、50歳から再び始めた空手修行から、私は様々な教訓を得ることができました。
最後までお読み頂き、真に有難うございました。